「オネショタ」という言葉を知っていますか?
お姉さんとショタによるカップリングを表す略称であり、女性の方が年上且つ、男性の方が思春期を迎えてない少年という年の差のある組み合わせです。「ショタコン」や「シスコン」というとわかりやすいでしょうか。
ぼくは30歳手前になってもいまだに年上の女性に憧れるのですが、この気持ちは小中学生のとき「オネショタ」のような関係のお姉さんがいたからなのかもしれません。
そのお姉さんが当時どのように僕のことを見ていたのか、どう思っていたのかを考えさせられ、まるでそのときのお互いの孤独に触れ合った関係を今でも求めているのではないのかと感じるマンガを紹介します。
『私の少年』1~6巻 高野ひと深/ヤングマガジン
あらすじ
スポーツメーカーに勤める30歳、多和田聡子は夜の公園で12歳の美しい少年、早見真修と出会う。元恋人からの残酷な仕打ち、家族の高圧と無関心。それぞれが抱える孤独に触れた二人はお互いを必要なものと感じていきー。
ぼくとお姉さんは孤独に触れる
ぼくは中学生になる直前に、一回り以上年の離れた優しいお姉さんに出会った。
恋愛的な関係というわけではないのだけれど、お姉さんとはたぶんよく一緒にいた。
お腹がすいたときにご飯を食べに連れてくれて、夕焼けが眩しいくらいの海を一緒に歩き、目がかすむような光の街を見せてくれて、しとしとと降る雨に隠れながらなぜか共に泣いていた。
あの頃の記憶はほとんど思い出すことなんてなかったのに、頭と心の隅に追いやられていた感情が再び舞い戻る。そんなマンガがこの『私の少年』だった。
ぼくもお姉さんも真修も聡子さんも、意味のないことを続ける虚しさを感じていた。真修はサッカーの練習で、聡子さんは起きたら体温計を測るクセ。
本当は意味のなかったことではないはずなのに、空気の抜けたサッカーボールのような虚しさと孤独に触れたとき、美化されているはずの記憶がよみがえる。
心の底に抱えているものに触れ合うことができたのは、年の差があることとは関係ないだろう。しかし、あのとき虚しさと孤独に触れ合った人は偶然か運命なのか、年が離れていた。
ぼくもお姉さんも、そして真修も聡子さんも。
お姉さんはぼくをどう見ていたのだろうか?
このマンガのキャラたちの心情は、主人公である聡子さんの視点で語られることが多い。
あのときのお姉さんはぼくをどう見ていたのかを考えるきっかけになるかもしれない。もしくは、年の離れた女性とお付き合いしている男性にも参考になるかもしれない作品だ。
自分や男の子(ショタ)よりも相手が大人であるので、見せないだけで深く相手のことや関係性を考えているのが年上の女性というものだ。この作品では、少年の虚しさや孤独だけでなく、12歳の男の矜持や「頑張れ」って応援したい気持ち、家族のことや関係性と世間体、と他にもいろいろと考えているみたい。
そんなお姉さんがぼくをどう見ていたのかを、聡子さんを通じて感じることができる。
聡子さんの心情から、あのときのお姉さんはぼくをどう見ていて、どう思っていたのかを記憶とともに探ることができるかもしれない。それがいいこととは言えないが、ぼくが今でも年上の女性に憧れているルーツを見つめることができるかもしれないと思っている。
繊細な絵と瞳の描写がきれいで純粋な大人と子供の物語。美しい少年の笑顔がお互いの過去と今を繋げていく。
30歳OLの聡子さんと、12歳小学生の真修。この感情は…母性?それともー。
ふたりの関係性がどう進んでいくのか、これから目が離せない。
こんな人におすすめ!!
- 「オネショタ」ものが好き
- 「ショタコン」である(女性にもおすすめ)
- お姉さんの気持ちを知りたい(シスコンですね)
- 年上の女性に憧れている
「オネショタ」という関係性を経験していたから、ぼくはいまだに年上の女性に憧れているのかもしれません。幼き頃の経験や想いって年齢を重ねても意外と残るものなんですよねー。つまり「マザコン」ではなく「シスコン」か!? 実の姉はいないけどね。笑
そういえばマンガでも大人な雰囲気の女性キャラを好きなことが多い気がします。例えば『それでも僕は君が好き』のキム・サムスンとか。聡子さんもそうですが、やっぱり大人な女性は美しいのです。
すごく素敵で美しい作品ですが、読書後ぼくは昔の記憶を思い出してセンチメンタルになっている… あのお姉さんは今幸せに過ごしているだろうかと。
そこもまたこの作品の魅力ですね。
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