寿命の値段は余生の値段。過去に左右されず、未来が決めるんだ『寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。』

「人間の命」は実際の金額にすると、いくらくらいのものだと思いますか?

このように問われると、あなたはなんと答えるだろうか。

サラリーマンの生涯賃金は一億から三億ぐらいだとか、人の命に値段なんてつけられないよとか、なんだかありきたりなことを言ってしまいそうになる。

または、これまでの人生が友に恵まれお金を稼ぎ成功してて自信過剰な人は内心、かなりの値段をつけるだろう。それか、自分を幸せにできず他人を幸せにできず何一つ夢を叶えられない自分みたいな人間の寿命には値がつかない、ゼロだ。という人もいるかもしれない。

自分の未来はお先真っ暗で、明るい話題は何一つなく、自虐的な話ばかりしてしまい、さながら囚人同士のような会話をしてしまっている自分がいる。そんな自分の人生を過去に縋り、諦めてしまいそうな人に読んでほしいマンガが『寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。』である。

*このマンガを描いた田口囁一先生からコメントを頂きましたので、記事に掲載しています。

寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。 第1〜3巻/三秋縋 原作×漫画 田口囁一

パソコンもテレビもない部屋で、今や金になりそうなものはCDと本のみ。お金に困ってて古書店に売りに行くと「寿命を売る気はねぇか?」と老人に聞かれるクスノキ。

呆け老人のたわ言によると、寿命の買い取りを行う店があるそうで、寿命の他に“時間”と“健康”を買い取ってくれるらしい。

査定の基準は幸福度・実現度・貢献度の三つだ。

つまり、どれだけ幸福になれたか、どれだけ目標を実現できたか、そしてどれだけ他者の幸福に貢献できたか。それによって人物の価値が決定される、という。

死ぬ最後の三日間までは監視員のミヤギと共に過ごしていくというあらすじで、クスノキの人生のあらすじにはヒメノという幼馴染の女の子のことが強く刻まれていたようだ。

タイトルの通りの値段で三十年間を三十万円で売り、残された時間が三ヶ月間になると、人はどのような心境になるだろうか。

自分の命の価値はこんなに低いのか、と絶望するだけでなく、きっと、これまでの人生を振り返り、これまでの過ちに気づく。過去の思い出や人間関係に縋ってしまうだろう。これまでそれらをないがしろにしてきたのに。

死を間近にして過去を振り返るクスノキの命の灯火を消そうとするかのように、現実は残酷で、濡れたい雨が降るような展開をみせる第2巻の物語。これは哀しくツライものがあるが、実はようやくスタート地点に立ったということでもあるのに、もう寿命は残りあとわずか。

過去に縋りつくとき、人はきっとSOSを出している。それは、救ってほしいというよりも変わりたいと願うからではないだろうか。けど、縋ったところでどうにもならない、空っぽになるだけ。しかしそこから、本当に自分を見つめて未来を向くことができると信じている。

 

また、コミック第2巻に収録されている「番外編 存在の言うまでもない軽さ」に読後の気持ちが救われる。

古書店の老人は、クスノキのようなおじさんに対して寿命は相当高く売れると見立てる。老人はおじさんと葉月という女の子に「寿命の値段は余生の値段だ。その価値は過去に左右されない、未来がそれを決めるんだ」と言う。

クスノキとこのおじさんの違いを考えてみるといい。このおじさんはもう、後悔しきれぬ過去に囚われていない。そして葉月に微笑んでいる姿から、爺さんの言葉を信じてもいい気持ちになるのは私だけではないはず。

 

ちなみに、第2巻のあとクスノキはどんな行動をとるのか気になりすぎて、原作の『三日間の幸福』を買った。でも、この物語原作の終焉を見届ける前に、このマンガ読了後の思いを綴った。

クスノキに残された余生は、これまでの寿命とは比べものにもならないほどの尊さがありますように。今の私にはやはり、自分の寿命に値段はつけられなさそうだ。

 

マンガ家・田口囁一先生の言葉

このマンガを描いた田口囁一先生から読者に向けてのコメントを頂きました!


作品のテーマとして、人によって解釈の分かれそうな内容ではあります。が、田口先生によって描かれたマンガは原作小説が読みたくなるほど魅力的。三秋先生の原作者あとがきによると、田口先生のコミカライズはとにかく原作を尊重して描かれているようです。原作小説も読みつつ、続きを楽しみにしています。

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原作小説『三日間の幸福』

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