子供はか弱いのだから、親や保護者や周囲の大人たちは子供を守らなければならない。
そんな思いがあるからか、育児や教育や子供の面倒を見るときに、ついつい大人は自分の思い通りに子供を操りがちだ。
「いい子なおりこうさんにしていてね」とか「立派な大人になるために勉強しなさい」とか「人に迷惑をかけてはダメ!」とか。それが子供を思ってのことではなく自分のために怒ってしまうことがある。
だけど、子供の目線で寄り添ってみると大人が忘れかけた大切なことを教えてくれる。特に、一見しっかりとした寂しさを知る子供ならなおさらだ。
子供の育児や面倒を見ていて、怒ったりイライラしてしまう大人に読んでほしいマンガが『コタローは1人暮らし』だ。読めばきっと、子供に対してだけでなく他人にも優しくなれるぞよ。
コタローは1人暮らし 第1~5巻/津村マミ
本作は、コタローという4歳の少年がアパートで一人暮らしをしながら隣人や近所、幼稚園の人々とかかわっていく姿を描いたアパートメントコメディ。しかしながら妙に生活力があり、アパートのちょっとダメな大人たちよりも余程しっかりしてる訳アリな良い子だ。
どれぐらいしっかりしているかというと、引っ越しの時に箱ティッシュを配ったり掃除をしたり買い物したり肉じゃがなど料理もできておもてなしもするし、挙句の果てにはザリガニを釣って下ごしらえしつつ食べ方も詳しい。もちろんぬけているとこもあるのだが…
そんな子供とかかわっていくアパートの隣人たちの狩野(漫画家志望)、美月(キャバ嬢)、田丸(ヒョウ柄ヤクザ)は、コタローに大切なことを気づかされる。さらには少しずつ明らかになるコタローの過去に心を震わされていく、はず!?
子供だって、大人だって、泣いたっていい
キャバ嬢の美月は男に貢いでいるのかよくわからないけど、開けっ放しの玄関で酔っぱらったまま寝ているところをコタローと狩野に見つかる。そんな彼女を起こしたコタローはなぜか走ってコンビニに行き、冷凍のペットボトルお茶を買ってくる。そして美月にこう話す。
「目を冷やすのだ。たくさん泣いたあとははやく冷やしたほうがよい」と。
狩野は泣いていたことに気づかなかったし、普通目を冷やすとか普通子供は知らない。
さらに次のひと言に考えさせられる。
大人になると泣いている姿を人には見せなくなる。いい歳した大人が泣いたらみっともなく見えるだろうし、子供(特に男の子)に対しても「泣いたらカッコワルイよ」ってなだめたりしていたかもしれない。
けど、子供も、そして大人も泣いてもいいのだ。
泣いている子供は、なんで泣いたのかわかってほしいのかもしれないし、「ワルイことしても嫌いにならないよ」って抱きしめてほしいもかもしれない。いい歳した大人だって、泣きたくなるぐらいツラく悲しいこともある。そんなときは友達や恋人や家族に話して、たまには泣いたっていいんだよね。
コタローは、泣いている大人をよく目のあたりにしてきたモテる男らしいぞ。
皆に好かれたい、もう誰にも嫌われたくない
ファッション誌を読んでモッテモテになりたいと思ったコタロー。そこで、オシャレにうるさそうな田丸といっしょに電車を使って服を買いに行く。
ヒョウ柄でグラサンして髪もキメた田丸はカッコいい(センスがいいとは言ってない)のかもしれないが、見た目完全にヤクザだ。電車でもお店の店員にもガラ悪いと怖がられ、警察にも職質されてコタローとの関係性を聞かれるような風貌だけど、ふたりはちゃんと友達である。
田丸は、コタローに好きな子ができたからオシャレしたいんだと勘違いしていたけど、コタローがあまりにも周りの人にイケてるか聞きまくるので、一体誰にそんなモテたいのか聞くと…
いくらしっかりした気を遣う子供でも、心を許した人の前では素直だ。そんな子供の何気ない言葉に驚かされたり図星だったりすることはよくある。訳アリなことがちらついたことにもビックリしたんだろうが、田丸は自身の見られ方や自分の子供にも嫌われてることもふまえた上で「人に嫌われるのが怖いか…?」と聞いている。
もちろんみんな嫌われるのは怖い。だけど、オシャレがすべてじゃないんだぞ。と、「俺はコタローきゅんがたとえオシャレじゃなくても、大好きだからなっ!」という田丸は実際どんな思いだったんだろうか。
これは個人的な推察だが、コタロー=田丸の子供、オシャレ=好かれること、に変換した感情も抱いていたのではないかと思っている。
それにしても、田丸がコタローにするほっぺにスリスリは、むしろジョリジョリじゃ…ない?そりゃあ嫌がるでしょ。笑
親の方がよかったとしても、他の大人の優しさも嬉しい
コタローのような訳アリの子供に対して大人はなにをすればいいのだろう。
それだけでなく、自分自身の子供に親ができることはなんだろう。
一応、コタローの保護者になった漫画家志望の狩野は、スウェット寝ぐせ無気力なダメ男だが、コタローに一番信頼されているであろう大人だ。意外と保護者の役目をしっかりこなしているのかもしれない。
幼稚園で役員主催の夏まつり。模擬店や催しの人手不足で手伝ってくれる人を募集すると、まあ、わざわざ大変なことをやりたいって人はなかなかいない。主婦は家事やパートや他の小さい子の世話で大変だ。
そんななか、狩野は手を挙げ、しかも4人分を「俺一人でもいけますね」という。もちろん他の保護者は大丈夫ですか!?とかなり不安気な様子。第一印象はひどかったので当然の反応。
だけど狩野は夏まつりの催しをうまくやり遂げる。甘く見積もっていたことには違いないが、美月や田丸、他にもコンビニ店員や漫画編集担当の友人に助力を頼んだようだった。
狩野はどうして赤の他人の子供にこんなにも優しくできるのだろう。
それは狩野自身が寂しい子供時代を育ってきたせいか、コタローがどう思っているか子供の目線に寄り添えるからかもしれない。そして、大人になって徐々に忘れていってしまったものをコタローがきっかけで思い出したからなのかもしれない。
このマンガを読むと、子供を育ててやっているという気持ちがいかに傲慢なのかを思い知らされる。子供を育てるとともに、自分も育っているのだ。大人自身もたくさんの喜びともらい、大切なことを教わっているのだ。
コタローは確かに訳アリで普通の子供とは違う。でも、親がいなかったり、虐待を受けていたり、不幸な環境の子供は意外と周りに潜んでいる。そんな自分の子供や赤の他人の子供、ちょっとダメな大人たちや、そんなダメな自分自身に対してもに優しくなれるマンガだ。
少しずつ明らかになるコタローの薄暗い過去には心を震わされてしまう。けど、こんなに変でかわいらしい子供のコタローは優しい大人たちがいれば幸せになっていく、よね?
それにしても、ティッシュを食べると甘いなんて知らなかったな。
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