もがいている人に寄りそうキセキ『憑依師』

「人に寄りそう」ということは、そう簡単なことじゃない。

とくに感情がむきだしになってもがいている人のそばにいるのはしんどいものなのに、寄りそって相手が心から求めていることをすることは、ほんとうに難しい。

とはいえ逆に、泣きじゃくりながら周りや自分のためにもがいているすがたに立ち会えることもそうそうないことではないだろうか。

家族や友達のために、夢や自分をみてくれる人のために、人がもがいているすがたに寄りそうことは、その人の軌跡を体感することだ。それは奇跡だ。

そんなマンガが『憑依師』だ。もがいている死者の人生を「体感」するというキセキを感じることで、きっと気持ちが楽になる、きっと泣きながら。

『憑依師』1巻 戸田誠二/スピネル

死者の霊魂を自分の体に憑依させて現世に戻り、その死者の願いを叶える役割を持つ死神。地獄行きの死者が「刑」として負わされる役目が「憑依師」。

主人公の黒川(クロカワ)は、母子家庭で育ち周りからもいじめられ仕事も上手くいかずにクスリでハイになって車にひかれて死んで憑依師として働くことになった。本来なら地獄行きだけど、生い立ち等が考慮されたようだ。

天国行きではあるが、現世に未練のある死者の霊魂をクロカワの体に宿して願いを叶える方法をいっしょに考えていくというあらすじ。

天国行きのフツーの人間は、なんか必死だ。

だって未練があるのだから。やり残したことがあるのだから。死んでも死にきれない。

と思うかもしれないが、実はそれ自体がとても幸せだったということかもしれない。

そんな未練のある死者の人びとは、娘のためにしてあげられることはないのかと過干渉してしまう母親だったり、友達と励まし合ってがんばっていたけど料理人を引退してガックリきた老人だったり、心を開かない有名女優だったり、母親や周りの人の気持ちに気づけなかった障害者たちだった。

クロカワの体から元のすがたに少し似た容姿を変えて、ふたたびもがきながらもやり直すことで、死んだ自分や自分と似た境遇の人に寄りそってくれるたくさんの人がいたことに気づいていく。

もがいていたのは自分だけでなく、実はみんもがいていたのだ。こんなにも愛してくれる人たちがいたのだ、と自分や周りの人たちの軌跡を体感していく。もちろんクロカワも。

とくに第5話の「自死者」の話はたまらない。

たとえ罪を犯してなかったとしても自死は地獄行きになる。

自死者の川井志保はクロカワと生い立ちは似ているけど、過ごしてきた日々は一見全然違う。けど、私は実は似ていると思う。まっとうに生きれなかったクロカワ、迷惑かけるだけだと自分を追い詰めた川井。

それは生きているときに自分や他人によってつけられた「魂のケガレ」に押し潰されてしまったのだ。そしてそのケガレを浄化してくれる人に出会えなかったのだ。

だけど憑依師として仕事をしていくクロカワのようにもがいている人の人生に寄りそうことで、いろんな人、いろんな生き方があっていいんだなと人の軌跡を感じることは、むしろそれ自体が奇跡なんだと思った。

実際に現実の自分が人の軌跡を体感することはそうそうない。もがいている人のすがたをみることもよっぽど近しい人だけだろう。マンガや小説やドキュメンタリーをみるとそう思えて気持ちが楽になるけれど、マンガなのにまるで自分の目の前で起こっていることのようにキセキを魅せてくれる。

人とかかわってできたケガレは、人とかかわることでしか浄化できない。それを「体感」できるマンガなので、きっと自分の心のうちにあるケガレを浄化してくれそうな気がするんだ。

 

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