倫理は、学ばなくても困ることはほぼ無い学問かもしれない。
けど、この知識がよく役に立つ場面もある。
信じられるものがなくなった時、他人を羨んで嫉んでうまく生きる事が出来ず人間関係がうまくいかない時、私は何の為に生きている? と憂鬱で悩みが絶えず苦しい時、死が近づいた時とか…。
別に知らなくてもいいけれど、こんなふうに苦しくて死にたくて救いを求めている時に生きるために大切なことを教えてくれそうな先生が『ここは今から倫理です。』の高柳先生だ。自分がひとりぼっちで絶望に苛まれた時に、彼の授業を受けてみたい。
『ここは今から倫理です。』1~3巻 雨瀬シオリ/グランドジャンプPREMIUM
倫理は、地理や歴史の様に生活する上で触れる事は多くないし、数学のような汎用性も、英語の様な実用性もない。この知識が役に立つ仕事はほぼ無い。宗教とは何か、よりよい生き方を考える、幸せとは何か、ジェンダーについて、いのちとは何か。
別に知らなくてもいいけれど、生きていくために大切なことはすべて「倫理」の授業に詰まっている。クールな高校の倫理教師・高柳が生徒たちの抱える問題と独特のスタンスで向かい合う教師物語。
高柳はクールで、そして絶望の淵を見渡すような瞳をした先生だ。生徒が教室でエッチしてても動揺せず、少し見下すような態度にみえることもあり、明るくユーモアを交えながら話すこともできない。
いわゆる人格者のような風格はないけど、悲しげな目からたくさん苦労をしてきた人にみえるし、とても人に優しい。
それに対して選択制の授業である「倫理」を受ける生徒はもちろん授業内容に興味なんてないけど、多少抱える問題を聞き、正しさを押しつけることなく話し、哲学者の名言とともに語り、そして問いかける先生のすがたから授業内容に興味を抱いていく。
いじめられっこに寄り添える先生になりたい谷口くんの第3話 理想の先生では、喫煙者である高柳先生がタバコ嫌いである他の先生から追い出されることについて谷口くんに問いかける場面があり、いじめの善と悪の曖昧さの問いが胸にくるものがある。
いじめる方にもいじめられる方にも原因があるというならば、どうすればいいのだと悩んだことがあると思う。いじめっこも善人と思わなければ、いつか、いじめっこをいじめてしまうかもしれないからだ。
高柳は理想のいい先生ではないのかもしれない。だけど、正しさや正義を振りかざすことなく、人の心に触れ、自分の心に触れてもらうことを生徒に対しても実践している先生の授業を受けてみたいと私も思うのだ。
「倫理は人の心に触れ、自分の心に触れてもらう授業です」と高柳先生は言う。
こんなふうに哲学的で難しいことを考えたり悩んだりのは、くだらないと思うかもしれない。別に倫理や道徳や哲学とかを知らなくても普段の生活差し支えないし、その知識でお金を稼げる役に立つようなものでもない。
けど私たちは人間だからこそなのか、仕事や人間関係や自己実現のためにいつだって悩んでしまう。
恋に破れても、家族が死んでも、いじめられても、就職に失敗しても、仕事がイヤでも、お金がなくても、人生が退屈でも。それがどんな理由でも、命に換わるほどの重い絶望になることがある。
そうして絶望感に苛まれたとき、なぜか人は人を遠ざけてひとりぼっちになってしまう。そんなときに高柳先生は、生きるために大切なことを教えてくれる授業をしてくれる気がするのだ。なにより高柳先生自身が、絶望感に苛まれながらも人と触れ合おうとしているように思えるからだ。
コメント