君が悲しい顔をする結末になろうとも、僕のことを忘れなければいい。でも君が悲しい顔をしていたら、きっとどうしようもなく悲しくなる。でも僕がいなくても君が笑っていたら、なんだかさみしくなる気がする…。
どこまでも僕は身勝手な人間だ。
そうやって、大切なひとを思えば想うほどぐちゃぐちゃになって切なくなることがある。恋とか愛とか、そうゆうものっていつも、きれいごとだけではおさまらない感情が巡り巡っている。
人間と鬼の百年にも満たない恋物語『人間に恋した鬼は咲う』を読んでいると、ぐちゃぐちゃになりながらも微笑んでしまうんだ。
『人間に恋した鬼は咲う』 全4巻 雪森寧々/COMICリュエル
愛する者を愛する者に殺され生きる希望を失った少年・綾人は、森で出会った鬼・千代に「僕を殺して」と懇願する。感情を持たない鬼には少年の行動など理解できるはずはないけれど、笑顔のようなその表情で死を望む綾人に心魅かれて私の分まで生きなさいという。
「愛しい死人の分まで咲きなさい」と。
そうやって鬼が人間の背中を押して、ゆっくりと縋るようにそばにいながらも、季節を共に巡るように一緒に暮らすことで、花をきれいだというように太陽が眩しいと思うように、気づいたら人間は鬼に恋をしていく。
そんな心に闇を抱えた少年と「恋」を知らない鬼の百年にも満たない恋物語だ。
綾人は幼なじみの日和が大好きだった。己の父親が人殺しだったこと、そして日和をも殺してしまったこと、人殺しであっても父親が大好きだった記憶が苦しくて辛くて悲しい。悲劇、喜劇の愛憎劇は矛盾が矛盾を呼び寄せていて、わかったときには泥沼だった。
ゆらめく霞のような罪悪感が、目を背けて忘れたくなるほど痛々しく重い。それゆえに人の情は複雑で、そして美しくもある。忘れたいことは忘れて、覚えていたい記憶はずっと覚えていられればいいのに。でもそれが叶わないからできないから、苦しくても辛くても悲しくても大切にするのかもしれない。
そんな心に闇を抱えながらも綾人が鬼の千代に恋をしていく姿は、ほっとしてほろほろと読む者の心を満たしてくれる。
無邪気で鈍感な千代は可愛らしく、のっぺらぼうが人間の妹に化けるも狐のようで優しくて、エロ狸はいたずらしながらモヤモヤの感情を突き詰めてきたり、雪女はお嫁さんにするには申し分ない。ふと笑う鬼や妖怪や人間の顔はあたたかくて優しくて、ちょっぴり切ない。
第2巻に登場する死んだお爺さんを想って化け猫になったノブナガの話は、寂しそうで見ていると涙がこぼれてどうしようもなく悲しくなって、優しく撫でたくなる。そして千代をいずれおいてゆくであろう綾人の感情にのまれて、ふと考えるのだ。
キミが悲しい顔をする結末になろうとも、僕のことを忘れなければいいと思った。でもキミが悲しい顔をしていたら、きっとどうしようもなく悲しくなって、そんな顔はさせてるのは僕のせいで、でもその時きっと僕はそばにはいてあげられなくて。僕がいなくてもキミが笑っていたら、なんだかさみしくて考えれば考えるほどぐちゃぐちゃになった。
大切なひとと別れたあとに自分のことを忘れてほしくないと思い悩んだあの時、どこまでも僕は身勝手な人間だと自覚したあの日。身勝手な恋や愛の心の記憶と感情がぐるぐる巡ぐってさらに涙が滴り落ちるのだ。同じような思いをしたことがある人は、ノブナガと綾人と私と意気投合するはずなので、ぜひ手にとって読んでほしい。
そうやってまた恋をして優しい気持ちになりながらも、第2巻の最後は平気で落としてくるので続きが気になってしまう。たとえ今幸せそうに笑って平気で生きているようにみえても、忘れたい記憶ほど忘れられないものなのに…。
それでも最後は、花が咲くように笑って読みたいと願ってしまうマンガだ。きっと咲いた花には美しい雫が滴り落ちるだろうけどね。
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